子どものセラピスト(2)孟母三遷の教え

 前回は、私がこの8月で子どものプレイセラピストとしては、ケリをつけた、終いをつけた、というお話を書きました。とはいえ、開業の心理相談室で、お子さんやそのご家族の相談(カウンセリング)は受けていきますので廃業ではありません。「え、何が違うん?」という方もおられると思いますが、私は、心理相談、カウンセリング、そしてサイコセラピーはそれぞれ分けて考える立場です。この点についてはアセスメントの水準にも関わる話なのですが、これはまたいつか書きたいと思います。今回は心理相談室の開店ということについて書いてみます。

 そもそも、開業形式で心理相談やカウンセリング、サイコセラピーを行いたいと思う、心理士はどれくらいいるのでしょうか?ちょっとわからず、あてずっぽうになりますが、心理士の2、3パーセントではないかと思います。これも推測になりますが、開業形式で心理相談を志向する人は、究極の引き算をしたい人なのではないかと思います。少なくとも自分はそうでした。その結果、ワンマン形式になったのです。

 さて、開業形式で心理相談室を開店するとなると、店舗テナントが必要となります。私が開業を始めたのが16年前です。その当時、心理相談室やカウンセリングルームということで、店舗テナントを借りるということは大変でした。不動産屋さんが持ってくる店舗テナントは、借主にこだわらない雑居ビルでした。私は子どもとそのご家族のための相談室を考えていましたから、その手の雑居ビルは選択肢から外れていました。ようよう不動産屋さんの営業マンが探してきてくれた感じのいい店舗テナントも、審査の段階でNGとなることが多かったです。かなり物件探しに難航していた頃、客づけ専門の不動産屋さんが、駅5分で店舗テナントの倉庫部分を切り離して貸している、という情報をくださり、契約まで何とか漕ぎ着けました。私にとってラッキーだったのは、貸主さんが外国の方でメンタルヘルスにご理解があったことでした。このようにして私は、ロードサイドには面していない、物件の裏手にある倉庫のような(いや倉庫)スケルトンの1室を借りることができました。そして蛍光灯、クロス(直張り)、カーテンレール、入口ドアなどの内装工事を行い、家具も整えて開店しました。この物件を決めた時の決め手というかお気に入りは何と言ってもオートロックです。安全面や訪問営業を回避できるなどの理由から、その物件のオートロックにかなり惹かれました。そしてデメリットは、居室内トイレがないことでした。私はトイレが近いことからこの点は難儀するだろうなあと思っていました。さて、開店準備でトラブルもなく開店し、紹介のクライエントさんもいて順調に開業は滑り出しました。

 しかしその順調さは「あること」が起こるまででした。「あること」は心理臨床学会の開業に関する自主シンポジウムでもふわっとさわりだけ話しました。「あること」とは、なんとその物件でお気に入りの部分であったオートロックが、子どもたちにとっては仇となっていたことです。詳述はできないのですが、オートロックの前で固まってしまう子どもたちが現れたのです。この物件は待合スペースがなかったので、親御さんたちに子どもさんを建物エントランス部分まで連れてきてもらい、そこで私が子どもさんをキャッチするシステムでした。その後親御さんたちには近隣の喫茶店でゆっくりと時間を過ごしていただきながら、プレイセラピーが終わるのを待ってもらい、プレイセラピーが終わると親御さんにも入店してもらっていました。「あること」は、親御さんたちが「いってらっしゃい」と子どもさんを送り出した後、子どもさんたちがオートロックのENTERを押すことができず、ドアも開かず、そこで固まってしまうという想定外の事態が何人かの子どもたちで起きてしまったのでした。これは本当に申し訳なく、私の知恵の回らなさや想像力の欠如にも後悔が残ります。私は、訪問営業などの邪魔が入らないという引き算に思いがいきすぎて、無用に子どもさんたちを困らせてしまったのです。

 この物件、実はもう一つ隠れた問題がありました。それは窓が学校の裏手に面していたのです。学校でうまくやれない子どもたちが相談室に来てまでも、子どもたちの声、授業のチャイムなど学校の気配を感じてしまうという致命的な難点があったのです。

 さて私は、開店してかなり早い段階から新たな物件を探すことになりました。セラピーの合間の時間、その時の店舗の近隣で物件を見て回っていました。そこでたまたま、オーナーさんが家系ラーメンの上に店舗として使っていいという物件を見つけ、入居しました(ちなみに前の物件は、私が退去したあと、私に重要事項説明をした客づけ不動産会社が居抜きで入居しました)。実はここも更新はしませんでした。それはなぜか。隣の居室の方が夜のお仕事をされており、その方がご出勤された午後3時過ぎから、わんちゃんが一人部屋の中にいたのです。このわんちゃん、クライエントさんの喜怒哀楽の表現には全く反応しないのですが、なぜか私が「あなたが私に伝えているのは〇〇ていう事だよね、…」と子どもさんに解釈をすると『ワンワンワン、ウーワン』と吠えるのです。最初は苦笑いぐらいでしたが、そのうち『キミにじゃないから』くらいのイラッと感が出てきました。私は部屋のどこか穴が空いているのでは?と探しましたが、穴は空いていません。お隣の方が確実にいるなという日でも、お隣の方の声は全くしないのです。おそらくはワンちゃんは居室境のガラス窓近くにいて、隣室の私の部屋のガラス窓越しに私の声に反応していたのだろうと思います。それから、有名な家系ラーメンの上のテナントでしたので、たまに「麺上がりまーす」と威勢のいい声が聞こえてくる時があり、それも困り物でした。このようなこともあり、オーナーさんもよく掃除をしてくれて愛想もいいので気に入っていたのですが、また私は物件探しを始めました。

 ここで私がいかに箱の外の音を気にしていたかお分かりかと思います。冒頭、開業形式の選択は究極の引き算ではないか、と書きました。すなわち、私にとって究極に引きたいものは、箱の外から箱内に入ってくる音を遮断したい、ということにありました。

 今私の相談室は3軒目になっており、ここは10年以上使っています。この物件はスケルトン段階から設計し、天井にも防音、掃き出し窓には二重窓(YKK AP社製「エコ内窓プラマードU」)をつけています。居室ドアも防音にしてもらったら、全くの無音になり、むしろ気持ち悪いということで、普通の軽いドアに変えてもらいました。すると、箱の外の音は耳をそば立てるとくらいに聞こえる状態でいい塩梅になりました。ここでめでたしめでたしなのですが、最近になって予想外のことが起こりました。それはコロナウィルスです。何せ箱の外の音の侵入を防ぐということは、機密性が高くなるということです。密を回避するのが感染予防の基本です。流石にこのことは私も頭を抱えました。この局面をどう乗り切ったか(乗り切り続けているか)はいずれまた書きたいと思います。

 このように開業形式の心理相談室は、ここに書ききれない、書けないドラマがたくさんあります。とりわけ私は、子どものプレイセラピーをシンプルな形で提供したいと思ったものですから、開業形式での究極の引き算を考えてきました。私はそこも含めて、子どものプレイセラピーは自分としてはやりきったかなと思っています。

 ここまで読んでくださって、ありがとうございます。